シャラポアの「声」論争

 女子テニスのマリア・シャラポワ選手のプレー中のうなり声に、世界1位の女子トップ選手がクレームをつけたとして論争になっているそうだ。NEWSポストセブンに作家の山下柚実氏の見解が示されているので紹介したい。
シャラポワ選手が発するうなり声で、「ボールの速度が正確に判断できない」とウォズニアッキ選手は苦情を述べ、「意図的に大きな声を出す選手もいる、禁止すべき」と訴えた、とテレビで報じていました。
 シャラポワ選手のうなり声を計測すると、100デシベルを超えた。その音量はなんと、地下鉄の中の騒音に匹敵する、とのこと。
 たしかに剛速球でラインギリギリにサーブを打ち込まれ、しかも巨大なうなり声がボールに被さるとすれば、相手はたまったものではないでしょう。
 シャラポワのうなり声は、はたして意図的に出されているのか。それとも全身全霊でサーブを打ち込む時、自然に発してしまう気合いのようなものなのか。
 テニスが品性を問うスポーツだとしても、プレー中の「声」をルールで禁止すべきなのかどうか。議論は分かれるところです。
 スポーツは、人間の理性を超えて、身体の力を直に表現する野性的な行為でもある。そう定義すれば、勝負にとって有利になるような質の「声」「音」を発することもまた、アスリートの、生な力の一つではないでしょうか。
 興味深いことは、シャラポワの声が間違いなく相手に脅威を与えている、という事実です。言葉の「意味」や「内容」だけでなく、「声」の響きや振動によっても、人の心理は大きく影響される。
 そうした見えない「武器」を、彼女自身が自覚しているかどうかは別にして、上手に使っている。「声によるマインドコントロール」が、テニスという戦いの中に潜んでいる、ということが浮き彫りになりました。
 声は人をコントロールする。時に、政治の世界でも異様な力を発揮する「声」「音」。その一例はアフリカにもありました。ルワンダの虐殺はラジオの音楽番組によって煽りたてられた、と[サウンドコントロール](角川学芸出版 伊東乾著)という本は解き明かしています。
 私たちの生活の中にも、いろいろと見えないシーンにおいて「音によるマインドコントロール」が潜んでいる、と考えられるのではないでしょうか。』(以上、 http://www.news-postseven.com/archives/20111105_69031.html より抜粋。)

シャラポア(v ウォズニアッキ)]

 テニスを良く見るわけではないが、スポーツ・ニュースなどで見かける試合中のシャラポアの声には確かにびっくりする。記事によれば、シャラポアは声を武器として使っているそうで、なるほどと思った。
 スポーツに限らず、勝負においては状況の全てを利用すべしと言うようなことを、確か宮本武蔵五輪書で述べていたような記憶がある。
 外交交渉の話だが、第二次大戦末期、スターリンアメリカから遥かに離れたヤルタにルーズベルトを呼びつけ、ルーズベルトの持病を悪化させ、疲弊させることで、戦後のソ連の立場を有利に導いたとの逸話がある。国際交渉においては、自国を如何に有利にするか、その為に最大限の知略を巡らすのが普通である。
 翻って、今の我が国の外交交渉はどうか。外国へ、のこのこ出て行って、言われたことを聞いてぺこぺこして帰って来る。これでは、勝負にも何にもならないのである。
 技術や精神力を高めるみならず、勝つためには「声」までも利用するシャラポアの姿勢に、我が国の政府も何か学ぶところがあるのではないか。


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(リンク)
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4439.html
http://ochimusya.at.webry.info/201111/article_6.html
http://blog.goo.ne.jp/en68/e/efea796949bda207a6ddaed3caad5bc6