成果主義とか、能力主義とかの誤り



 大東亜戦争を思い還して見て下さい。圧倒的物量差、民族絶滅の危機にあり、辛うじて国体を護持できたのは何故か?
 神風特別攻撃隊の活躍があったからです。
 我が国で300万人もの犠牲者を出した大戦で、神風特別攻撃隊の犠牲者は数千人です。しかし、この数千人が、大戦中に日本が沈めた連合軍艦船の半分を撃沈破する大戦果を上げたのです。

 では、その神風特別攻撃隊の青年達は、特別に能力の優れたエリート達だったのでしょうか?
 違います。敢闘精神旺盛な志願者ですが、どちらかと言えば、パイロットとしては技量未熟な方に属する、とても若い、普通の一般的な日本人でした。
 当時の日本社会を他の国の社会と隔てていた気風。それが何だったのか考えてみると、能力が劣る者が見せる頑張りに対しては、特に篤く感謝する社会であった事です。能力がある者が、自分に出来る事をこなすのは当たり前の事です。それよりも、上手く出来ない者が、出来ない成りに一生懸命にやる、その事に対して、尊敬や感謝の念を持ち、高く評価する。社会全体に、そういう気風があった。それ故に、多少、能力に劣る人も投げやりになったり、諦めたり、腐ることなく、また手抜きなんかすることもなく、一生懸命、目的の達成に取り組んだのです。
 社会全体に、その気風が充満していたからこそ、若い特攻隊員たちは、操縦に関し、技量未熟な自分達が、今お役に立てる事は特攻隊員として犠牲になる事だと、自然にそう思い、進んで死地に赴く決断をしたのでしょう(彼らは、戦死しても、国から恩給が保障されて家族の助けになることを知っていましたから、国の為に無責任に家族を捨てたのでもありません)。
 一方で、能力のある熟練パイロットや年長者は、奢ることもなく、自らに能力や経験があるのは、その分、世の中に奉仕する使命があるからだと考え、より一層、与えられた職務の完遂や、後輩の育成に尽くした。結果として、能力を持つ者も、能力に欠ける者も、年長者も若年者も、皆が一体になりました。自然と目的達成のために一生懸命になる、そういう社会が、当時の日本という国だったのだと思います。
 能力に差がある人達が集まっていても、足を引っ張り合う事もなく、皆が協力して、能力の差をもって不平等感を抱く事の無い社会。それは、そういう風に出来ていました。
 では、今の日本はどうでしょうか。成果主義能力主義と言い、数字として結果が出なければ叩かれるし、給料も減る。人間は生き物ですから、一人一人が異なるDNAを持ち、努力だけでは克服できない固体差を持って生まれてきます。同じ事をやっても、努力してできる人と、努力しても出来ない人が出てきます。体力のある人と無い人、年長者と若者では、出来る事も違うでしょう。
 それを成果主義能力主義でしめ上げたら、努力しても出来ない人は、諦めてしまうでしょう。一生懸命やる気持ちも無くなり、最低限の事をやって、後は手抜きをしようと思うように成るのでは無いでしょうか。能力がある人は・・・と言えば、やる気の無い連中を養うために頑張るのはまっぴらと思い、やる気の無い人を見下し、自分の成果の事だけ考えるように成ってしまう事でしょう。そして、他人の能力を貶めて、自分の能力を高く見せようと頑張る人まで出てきます。
 結果として、組織全体が熱を帯びていた、かつて日本のように、全員が協力し合い、一億火の玉になるような気風は出てきようがありません。年功序列や終身雇用が廃止され、成果主義やら能力主義が声高に叫ばれたのは、確か小泉構造改革の頃でした。企業内でも一斉に評価の仕組み、考え方が変えられて行きました。
 それで、今、日本の企業は強くなったでしょうか?、社長さんや企業幹部の給料は、成果主義能力主義の導入で上がり、個人として不満は無いのかもしれませんが、会社全体や、そこで働く人達は、全員一致協力して、皆熱く目的達成に燃えているでしょうか?
 日本人は、そろそろ、成果主義とか、能力主義の問題点について、よくよく考えてみるべき時期に来ていると思います。



<世界が語る神風特別攻撃隊   単行本>



虚妄の成果主義    文庫>



<日本を良い社会へ変えよう!、クリック宜しく。 m(_ _)m>

人気ブログランキングへ



(リンク)
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4935.html