看護師刺殺、こんなのは死刑でよい



 浦安で起きた看護師殺害事件の被告に対し、検察は懲役25年を求刑している。
『千葉県浦安市のマンションで昨年4月、仙台市の看護師、長谷川かなえさん=当時(23)=を刺殺したなどとして、殺人や住居侵入などの罪に問われた無職、西岡大志被告(27)の裁判員裁判の論告求刑公判が22日、千葉地裁(任介辰哉裁判長)で開かれ、検察側は「被害者に落ち度はなく、身勝手な犯行のいきさつや動機に酌むべき事情は全くない」として、懲役25年を求刑した。
 論告で検察側は、「被告は金欲しさや他人のプライバシーをのぞき見したいという欲求のまま、安易に窃盗などの犯罪を繰り返した」と指摘。弁護側が、被告は部屋に忍び込んだあと被害者に気づかれ、パニック状態になって殺害に至ったと主張していることについては、「人がいると知りながら侵入しており、(気づかれることは)予想できた」と反論した。
 犯行後に指紋を拭き取るなどの証拠隠滅行為に及んだことや、逮捕されるまでの約2カ月間変わらぬ生活を続けていたことにも言及し、「冷酷で非人間的な行動と言わざるを得ない」と指弾した。(2013.1.22 msn産経ニュース)』(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130122/trl13012216110002-n1.htm

 弁護側は情状酌量を求め、懲役13年が相当と主張している(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130122-OYT1T01155.htm)。判決は25日に出されるが、検察の主張が懲役25年で、弁護側が懲役13年の主張だから、多分死刑にはならないだろう。
 しかし遺族である母親は、意見陳述の中で「身勝手な男の行動で、当たり前の幸せを奪われた娘が浮かばれない。死刑にしてほしい」と訴えたという(http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2203U_S3A120C1CC1000/)。
 通常の殺人事件では、よく一人殺しただけでは死刑にならないと言われる。しかし、どうも私は、それではおかしいと思うのだ。この犯人は27歳だから、25年刑務所に入れても52歳で出て来る事になる。懲役13年の場合なら40歳だ。良い人生ではないが、人生80年時代、この男には十分過ぎる余生が与えられる事になるのだ。しかも、出所まで(出所後、職が無ければ生活保護まで)税金で養うなんて、どう考えても無駄なことだ。
 被害者は命を奪われ何も出来ないのだ。遺族には悔しい思いと悲しみが残っている。近代国家は私的復讐を禁ずる代わり、国家が復仇行為を代行して犯罪者を法に従い処罰する。だが、懲役25年は、殺人に対する十分な復仇行為だと言えるのか?
 言えない気がする。死刑反対論者は、死刑を乱用すると自殺志願者が殺人をするから良くない、という詭弁を使う事がある。その場合は、楽ではない死を用意すれば良いだけの話だ。
 落ち度の無い女性一人殺しても、25年以下の懲役で済む社会というのは、つまり社会システムとして、殺人を認めている社会ということにならないか。例えば、殺したい相手が出て来たとする。その時、懲役を覚悟するなら殺してもいいよ、と社会が言っているのと同じ事ではないか。
 何の落ち度も無い女性一人を殺しても、25年以下の懲役で済んでしまうならば、それは殺人の抑止にもならないし、遺族の復仇行為の代償にもならない。家族が殺されたのに、その犯人が、残された遺族より長生きして良いのか?、そんなのは絶対におかしいと思うのだ。



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