茨城県民の歌が反原発派の標的に!



 茨城県民の歌の歌詞、第3番が、原子力を礼賛しているとして、反原発派らから攻撃を受けているらしい。
茨城県が制定し、来月、誕生五十年を迎える「茨城県民の歌」で、原子力をたたえる歌詞を問題視する声が出ている。国内初の原子炉を郷土の誇りとする歌詞は、東京電力福島第一原発事故によって状況が一変。郷土愛を育むための歌とあって、原発に反対する県民は「歌詞を変えた方がいい」と訴える。(永山陽平)
 茨城県民の歌は、県が歌詞と曲を公募して一九六三年三月十六日に制定された。一番から三番まであり、原子力に関する歌詞は三番で出てくる。当時、次世代のエネルギーと期待された原子力を「世紀をひらく原子の火」と礼賛。「このあたらしい光」で「あすの文化をきずくのだ」と高らかに歌う。
 同県東海村の日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に設置された原子炉が、核分裂を連続させる臨界に国内で初めて成功したのは、歌を制定する六年前の五七年。郷土が誇る研究施設の偉業に、県内は祝賀ムードに包まれたという。三番の歌詞は、そうした時代背景の中で生まれた。
 歌は小中学校や県主催の体育大会などで歌われており、県民の認知度は比較的高い。県庁では新年の仕事始め式などで歌う。自民党茨城県連では十年ほど前まで、県連定期大会で歌っていた。
 だが、原発事故の後、歌詞を問題視する声が相次いでいる。東海村で反原発活動に携わる岡本孝枝さん(43)は「かつて原子力に夢見る部分はあったと思う。でも、歌詞はもう見直した方がいい」、水戸市和食店員桜井謙一さん(30)も「三番を素直に歌おうとは思えない」と話す。
 ブログなどで歌のあり方に疑問を投げかけてきた井手義弘県議(公明)は「みんなが気持ち良く歌える新しい歌があってもいい」と、歌詞ではなく歌そのものの作り替えを一案として挙げる。
 歌詞の原作者は元高校教員の川上宏昭さん(85)=同県石岡市。応募では「原子」という言葉を用いておらず、比喩的に東海村の隆盛を描いたという。有識者らでつくる当時の審査委員会が原子力を強調する手直しをしたらしい。川上さんは「歌に関わった人に迷惑がかかる」と多くを語らない。
 県は「県民に長く親しまれてきた歌」として、歌詞を変える予定はないとしている。(2013年2月18日 東京新聞)』(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021890135147.html


 問題となる3番目の歌詞とは、こういう歌詞だ。「世紀をひらく 原子の火 寄せる新潮 鹿島灘 このあたらしい 光をかかげ みんなで進む足なみが あすの文化をきずくのだ いばらき いばらき われらの茨城」
 良い歌詞じゃないか!
 日本最初の原子炉JRR−1が作られたのは、茨城県東海村である。まだ戦後の復興期にあたる昭和32年のことだ。そして昭和38年に茨城県民の歌が作られたという。
 当時だって、反核運動があり、原爆の記憶も生々しかったはず。それでも、人類の英知として、当時の人達は原子力に希望を見出したのだ。
 そして1999年、茨城県東海村でJCO臨界事故があった時も、この歌詞は変わる事は無かった。
 そういう伝統ある歌を変えろとは、反原発活動家とは、なんという非道な連中だろう。
 これは、左翼が良く使う手だ。親しまれている象徴的な物に攻撃をしかけ、それを抹殺して見せる事で、そこに繋がる概念をネガティブなものとして印象付け、人々の物事への態度やマインド・セットを変えようとするのだ。一種の洗脳である。
 こうした左翼の洗脳工作を受け入れ、安易に伝統や文化を変えてしまうのは愚かなことだ。文化とは破壊したり変えたりする物ではなく、守り育むものだ。
 今、歌詞が気に入らないからと言って、それを消してしまったら、それが作られた時の感動や希望も一緒に失われてしまうのだ。そうした感動を受け継がずに抹殺してしまい、暗い記憶と入れ替えたとして、我々の文化が明るく希望に満ちた物になるのだろうか?
 茨城県民の皆さん、歌詞を変えないでください!
 原子力は人類に必要です。チェルノヴィリ事故であれ程の被害があったロシアでさえ、原子力を強力に推進し、原子力発電所の建設を進めています。原子力は、今も人類発展の希望です!



るるぶ茨城'13〜'14     ムック>



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