スイスで経営者の高額報酬制限



 スイスで国民投票行われた結果、企業経営陣の高額報酬に対し、制限を導入することにしたという。
『スイスで3日、企業経営陣の高額報酬を制限するか否かを問う国民投票が実施され、7割近い賛成多数で、制限導入が承認された。
 憲法が改正され、上場企業の株主が経営陣の報酬に制限を課したり、法外な退職金の支払いを阻止したりできるようになる。報酬制限に違反した企業幹部には罰金や禁錮刑が科される可能性がある。これによりスイスは、株主が企業トップらの報酬について強い発言力を持つ国の一つになるという。
 スイス政府によると、投票者の67.9%が報酬制限の導入に賛成した。
 ビジネス界はスイスの国際競争力が損なわれるとして制限導入に反対してきたが、企業役員らが高額報酬を受け取っている現状への国民の怒りが噴出した形だ。(毎日新聞 3月4日)』(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130304-00000012-mai-eurp

 このスイス国民の選択は正しいと思う。
 自己分析によれば、私は政治的には右寄りの考え方を持っているが、経済政策の面では、多少、左よりかも知れない。
 無制限な新自由主義などには絶対反対だし、小泉政権の行った構造改革も完全な誤りだと思っている。アメリカの経済政策など真似るべきではないし、TPP参加にも反対だ。
 どちらかと言えば、戦前に流行った国家社会主義的経済政策共産主義では無い、私の中ではグローバル化に対極するもので、各国家の生存圏を重視し、普通選挙によって選ばれる政府が、国民の権利や利益を反映して社会主義的政策を進める経済政策としてイメージしている)でも良いと思っているくらいだ。
 何故そういう考え方になるのか自己分析してみると、個人の能力というものが天与のものであり、必ずしも自分の努力だけで全て決定できるものでは無いと思っているからだ。
 個人は、どこの誰に生まれるか、自分で選べない。しかるに、この世に生を受ければ、個人は自己の遺伝的特質や生育環境の影響を強く受けて育たざるを得ない。その運命は自分で選べない。適切な努力ができるかどうかすら、その所与の条件に大きく影響されている。
 従って人の競争条件は、生まれながらに平等ではない。
 優れた業績を上げた人が、それを達成する為の努力が可能であった理由の多くは、およそ社会的・生物学的・環境的条件に恵まれる事に依拠している。
 従って、成功者が、その能力によって得た果実(報酬など)は、全てが完全に自己の努力の結果だけに拠るとは言えず、社会的好条件に拠っている所も多いと見なすべきであろう。だとすれば、各個人が努力して得た果実に関しても、社会から恩恵を得られた結果に相応する、過剰の利益部分については、広く共同体社会に還元し社会の滋養・発展に役立てるべきだ、と思うのだ。 
 完全な結果の平等を齎せと言っているのではない。あくまで過剰の利益部分を社会に還元するという事だ。世の中には反社会的な連中も居ることだし、そんな連中にまで等しく利益を配分する必要は、勿論無い。
 優れた能力を持つ者は、優れた能力によって他者に優越する権利を持つのではない。優れた者は、優れた能力によって他者を助ける義務を負うのである。そして持てる能力は皆、完全ではない。だから助け合う。他者を使役し過剰に奪う事は、絶対に許されない。本来は、この価値観を共有する同胞達の中で、皆が与え合うべきなのだ。
 この考え方は、私の個人的考えに過ぎず、現在の優勝劣敗型、適者生存の資本主義には上手く適合しないかも知れない。けれども、旧来の日本的経営、日本型資本主義における人間観とは、そもそも、そういうものであったと思うのだ。
 今の経営者が理想とする、開かれた無限の市場の中で競争し成功者が無制限に搾取する事を前提とした、アメリカ型の原始的な資本主義は、多くの部分で間違っており、幸運により成功しているに過ぎない成功者の自己中心性を、過大に尊重し過ぎている。
 それが原因で、本来なら閉じられ、同胞のみにより構成されるべき社会全体(一民族・一国家)において、協調性の喚起によって人の持つ意欲を健全に引き出し、生き生きとさせる事に完全に失敗している。私はそう思っている。



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