シーチキンで思う日ソ中立条約と日米戦争



「シーチキン」が5月に値上げされるそうだ。
はごろもフーズは13日、主力商品「シーチキン」の16品目について、5月1日出荷分から最大6.1%値上げすると発表した。世界的に魚の需要が拡大し、シーチキンの主原料であるキハダマグロとカツオの価格が高騰。円安で輸入価格も上昇し、収益が悪化したことが響く。主力の「シーチキンL」(内容量165グラム)は参考小売価格が330円から15円上がって345円となる。
 対象は「シーチキンファンシー」などで、「シーチキン」シリーズの半数以上が値上げとなる。上げ幅は2.2〜6.1%。また、「シーチキンマイルド」など2品は、6月1日出荷分から容量を80グラムから70グラムに減らし、価格は据え置く。(時事通信 3月13日)』(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130313-00000121-jij-bus_all

 シーチキンというのは、製造会社のはごろもフーズが持つ商標名だけど、中身はマグロの油漬けだ。興味を持って歴史を調べてみた所、マグロの油漬け缶詰め(ツナ缶)の歴史は古く、日本では昭和5年に国産初のツナ缶を製造し、アメリカへ輸出している。
 当時は不況で人件費が安く、原料となるビンナガマグロの値段も豆腐よりも安かった。アメリカで高く売れたので、初期のツナ缶は、殆どがアメリカ向けだったという(http://www.nttcom.co.jp/comzine/no063/long_seller/index.html)。
 因みにオリーブの木が瀬戸内海の小豆島に植えられたのは、ツナ缶用のオリーブオイルを調達するためだったそうだ(http://www.olivex.co.jp/olive_japan.html)。
 日米戦争の直前には、関係悪化でアメリカへツナ缶が輸出できなくなった。しかし1939年、第2次世界大戦が勃発すると、独伊の缶詰需要が急増。ベルリン三菱を通じて発注してきたツナ缶は35万1千余箱、実際にシベリア鉄道経由でドイツに21万6千4百箱ものツナ缶が送られた(http://stanza-citta.com/hime/2010/08/06/376)。
 発注分が完送されてないのは、恐らく独ソ戦が始まったからだ。1941年6月22日、ヒトラーはバルバロッサ作戦を発動、日本に何の相談もなくソ連に攻め込んだ。
 で、ツナ缶目線で歴史を見て気付いたのは、日本にとっての独ソ戦の衝撃度だ。独ソ戦の少し前、日本は松岡外相の主導で日ソ中立条約をスターリンと結んだ(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1941_nisso_tyuritsu.html)。
 これは今考えれば大失敗だったが、ツナ缶の動きを見れば、松岡が日ソ中立条約に取り組んだ気持ちも分からないでもない。日本は、日独伊三国同盟ソ連を加え、日独伊ソの四国協商体制でユーラシア大陸を交通の要(かなめ)、資源策源地とし、ABCD包囲を破って米英に対峙する目論見だったのだ。
 ところが、ヒトラー独ソ戦を始めたせいで、四国協商構想が崩れた。日本の海外との交通線は、独ソ戦で完全に遮断されてしまった。日本は既に米英支蘭によるABCD包囲を受けていたが、包囲を最後に完成させたのは、皮肉な事に同盟国ドイツだったと言える。日本の平沼首相は「欧州情勢は複雑怪奇」との言葉を残し、内閣総辞職した。
 完全に孤立した日本は、アメリカの経済封鎖、そして過激な挑発に対抗しきれなくなった。
 日ソ中立条約を結んでいる手前、国際信義を守る日本は、ソ連相手に北進策を取る事ができない(第3次近衛内閣の豊田外相は1941年8月5日「日本は中立条約の各条項の義務を誠実に履行する意図である」旨、ソ連大使に伝えている)。結局、国難打開の為には、南進策を取り、日本を締め付けるアメリカ相手に自衛戦争を開始するしか、道が残されていなかったのである。
 資源が自給でき、そして経済が内需中心で自立していないと、他国に振り回される。
 やはり、一国で自立自存できなければ、国家は自己決定権すら奪われるのだ。相互依存をなるべく減らし、自給自足できる国を作るのが正しい。今もアメリカや中国は、それを目指している。日本も目指すべきだ!
 



<はごろも シーチキンL165g   4箱(96缶)>



スターリンヒトラーと日ソ独伊連合構想     単行本>



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