復讐なら大虐殺も可、韓国



 原爆投下は、神の懲罰だとする論評を、韓国の中央日報が伝えたという。
『韓国の中央日報が日本への原爆投下を「(神の)懲罰だ」とする記事を掲載し、在韓国日本大使館は22日、同紙に抗議した。
 問題の記事は20日付で、安倍晋三首相が東日本大震災の被災地視察で航空自衛隊松島基地を訪問した際、操縦席に座った空自機の番号が「731」だったことを取り上げ、細菌兵器を研究したとされる旧日本陸軍の部隊名称と同一だとして非難し、日本の反省が足りないと主張する内容だ。
 さらに、大規模空襲や原爆投下を神による「過酷な刑罰」としたうえで、第二次大戦末期のドイツ・ドレスデンへの空襲を「ユダヤ人の復讐(ふくしゅう)だ」、広島、長崎への原爆投下については「日本軍国主義へのアジア人の復讐だった」と主張。非戦闘員への無警告、無差別の大規模殺傷という事実も「国家を改造して歴史を変えた」と支持している。
 記事は、「日本に対する火雷(爆撃)が足りないと判断するのも、神の自由だ」と、日本への軍事攻撃を肯定する主張で締めくくられている。
 執筆した同紙のキム・ジン論説委員(53)は過去に「大韓言論賞」の受賞歴もあり、韓国では優れたジャーナリストの一人とされている。(産経新聞 5月23日)』(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130523-00000089-san-kr

 やはり韓国人は、日本人と相容れない民族だ。
 広島、長崎への原爆投下による大量虐殺を「日本軍国主義へのアジア人の復讐だった」とする論調。そして、そこに「神」の名を持ち出す。つまり、神=正義、正義=連合国(韓国人は自分達が連合国だという妄想を信じている)、正義のためなら大量虐殺を伴う原爆投下も容認されるという、十字軍的な一神教的論理が垣間見える(韓国ではキリスト教が普及している)。
 そもそも、日本を悪と決め付ける考えがおかしいのだが、仮に相手が悪であったとしても、相手を滅ぼした事を日本人は正当化したりしない。
 日本人の持つ、汎神教である神道の考え方では、万物に神が宿るため、仮に相手が滅ぼすべき敵であったとしても、死後は尊崇の対象とし、丁重に祀る(http://art.upper.jp/miyahara-akio/unchiku/uzukitakare/40.html)。
 ところが、一神教の考えでは、万物は一つの神が作り出したもので、悪もまた神の一部だとされる。だから、神の作りだした悪=敵を滅ぼすのも、また神の意思という事になり、全てが神の行為として正当化されるのだ。自分が神を信じ、神の声に従い行動している以上、神の駒である自己の行為は、神の意志として絶対的に正しい。これが一神教的な考えである。
 だから、キリスト教イスラム教のような2つの一神教がぶつかる時、争いは終わらなくなる。どちらも、自分の神に従う自分の方が正しいという論理で行動するからだ。一方、日本的感覚の根源にある神道の考えでは、そうはならない。相手も対等の別の神として尊重するからである。
 在日韓国人による通り魔殺人があったそうだが、犯人は「日本人か?」と聞いてから刺したという(http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5071.html)。
 恐らく、この通り魔在日韓国人は、反日幻想である性奴隷物語のようなものを信じていて「日本人=悪」という構図が頭の中に完全に出来て居たに違いない。そして悪である日本人を、韓国人は殺す権利が当然ある・・・復讐として・・・そういう異常な考えに至ったのだろう。こうした復讐犯罪は、過去にもあった(http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20120716/1342398914)。そこに、原爆投下は「日本軍国主義へのアジア人の復讐」、神の懲罰だったと正当化する中央日報の論理と、同じものを見るのは、私だけではないだろう。
 韓国人の妄想を破壊しない限り、彼らの言う日本人への復讐は、千年経っても続くのだろう(http://blogs.yahoo.co.jp/x_men_go_go/32566346.html)。 



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