ロシアの歴史捏造に気を付けろ!


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 歴史捏造と言えば、支那、朝鮮を思い出すが、ロシアも歴史捏造を行う傾向があるから注意が必要だ。
『ハサン湖事件を再現する行事にロ日両国から約50人が参加
 ウラジオストクハバロフスク、ソヴィエツカヤ・ガヴァニの軍事・歴史クラブのメンバーそして日本の研究者など合せて約50人が、1938年に起きたハサン湖(張鼓峰)事件を再現するイベントに参加した。
 今から70年以上前の1938年7月29日、日本軍はソ連国境を侵犯し、ベズィミャンナヤ高地にあったソ連軍の国境警備隊駐屯地を攻撃した。しかし日本軍は、猛反撃を受け、大きな損失を蒙ってソ連領内から退却した。
 リア・ノーヴォスチ通信記者の取材に対し、この行事に参加した一人は「クレストヴァヤ丘で15分間、当時の戦いのエピソードが再現された」と伝え、次のように語った―
「今回のイベントの準備には、1年かかった。参加者の服装などは、1938年当時の軍服を正確に再現したものだ。模擬戦の際の銃撃や砲撃の煙は、特別の火薬を持ち込んで代用した。」
 ハサン湖事件を記念する行事は、極東の諸都市や地区で行われている。祖国の国境を死守した人々を称えた記念碑や亡くなった人々の墓地の清掃・修理などが行われ、ブラスバンドの演奏やコンサートが催されている。(ロシアの声 2013/8/10)』(http://japanese.ruvr.ru/2013_08_10/119405963/

 記事にあるハサン湖事件とは、日本では張鼓峰(ちょうこほう)事件として知られる、日米戦争より前の1938年に起きた軍事紛争である。記事中、「日本軍はソ連国境を侵犯し、・・・しかし日本軍は、猛反撃を受け、大きな損失を蒙ってソ連領内から退却した」と、さらっと書かれているが、これは真っ赤なウソである(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%BC%93%E5%B3%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6)。
 正確に経緯を説明すると、紛争の起きた張鼓峰は、当時、ソ連満州の国境未確定地域で、日ソ双方で国境線の認識に違いがあり、軍は置かれていなかった。
 そこに突如としてソ連軍が軍を進駐させ増強し始めたので、日本側は国境侵犯と見なし、ソ連軍を攻撃したのである。なので、事件の原因は一方的に軍を進め挑発行動を行ったソ連側にあり、「日本軍はソ連国境を侵犯し」というのは、言い掛かりに過ぎない。
 また、停戦に合意した時、張鼓峰は日本側が保持していた。そして日本側は戦死526名、負傷者914名の損害を出したが、ソ連側はもっと多く戦死792名、負傷者2,752名の損害を出していた。従って「日本軍は、猛反撃を受け、大きな損失を蒙ってソ連領内から退却した」というのも、完全な出鱈目である。正しくは真逆であり、満州領内に侵攻したソ連軍が、猛反撃を受け、大きな損失を蒙って退却したのである。
 停戦後、協定により両軍は軍を引いたが、その隙にソ連軍は停戦協定を無視して、日本軍が退却した後に軍を侵入させ、陣地を構築してしまった(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1931-40/1938_kochoho_jiken.html)。実に悪質な事をやったのがソ連軍なのである。
 張鼓峰で、歴史を記念するイベントが行われ、日本人も参加したとか報じられているが、日本軍を一方的にとして、それを撃退したかのようなウソ歴史観を、参加者が記念したとすれば問題だ。ロシアは、スターリン時代に大規模な歴史捏造を行っていた前科がある(http://pub.ne.jp/zaki/?entry_id=4864086)。
 特に「ロシアの声」は、この前も、終戦間際のソ連の侵攻がアメリカを原爆攻撃から救ったとかトンデモ記事を流していたし(http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20130615/1371314418)、疑った方が良いね。
 



<コマンドマガジンVol.82『Second Front Now』『張鼓峰1938』  雑誌>



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