ベトナム、ザップ将軍の国葬


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 ベトナム戦争を指揮し、アメリカを打ち破ったザップ将軍の国葬が、各国外交団も参列する中、ハノイで営まれた。
『第1次インドシナ戦争ベトナム戦争を指揮し、4日に102歳で死去したベトナムの国民的英雄、ボー・グエン・ザップ将軍の国葬が12、13の両日、首都ハノイで営まれた。
 AFP通信などによると、国葬にはベトナム共産党グエン・フー・チョン書記長をはじめ党・政府要人や各国外交団が参列した。チョン書記長は13日、「ザップ将軍の名前は国家の歴史に永遠に刻み込まれるだろう」と弔辞を述べた。
 遺体は空路、故郷の中部クアンビン省に運ばれて埋葬。ハノイ中心部から空港までの沿道では大勢の人々が将軍の死を悼んだ。
 ザップ将軍は、故ホー・チ・ミン主席の片腕として軍事的才能を発揮し、フランス軍や米国軍を撃退。欧米諸国から「赤いナポレオン」と呼ばれた。引退後も汚職問題を批判するなど注目を集め、国民から慕われていた。(毎日新聞 2013年10月13日)』(http://mainichi.jp/select/news/20131014k0000m030048000c.html





 冷戦期、北ベトナム(及び統一後のベトナム)は東側に属し、我が国とは反対陣営にあり敵対していた。しかし、我が国が、歴史上、ベトナムと戦争状態にあった事は一度も無い。
 大東亜戦争の大半の間、ベトナムはフランス植民地政府の統治下にあった。そして戦争も末期の1945年3月、日本軍はベトナムを統治するフランス植民地政府を解体した。だがそれは、ベトナムを支配していたフランスを打ち破り、ベトナムを独立させる事が目的の作戦だった。それによりバオ・ダイ帝を元首とするベトナム帝国が樹立されたのである。しかし日本の敗北によりベトナム帝国は倒れ、そこから、ホー・チ・ミンに指導されたベトナム人民の、フランス、そしてアメリカに対する戦いが始まる。
 ある見方をすれば、ベトナム戦争は、大東亜戦争の延長戦のような戦いだった。勿論、日本は直接ベトナム戦争に関わった訳では全くない。だが、ベトナム戦争がアジア解放を目的とした大東亜戦争の理念、その大きな破壊力の衝撃余波によって生起した戦争であった事実に、間違いは無いのである。
 中ソの支援を受けた共産勢力の指導者とはいえ、ベトナム人の力を結集し、日本が果たせなかったアメリカに対する勝利を成し遂げ、大国アメリカを打ち破ったボー・グエン・ザップ将軍に、日本国民として哀悼の誠を捧げたい。



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