最強日本兵


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 命令解除が無かった為、30年間にも渡り山中に籠りゲリラ戦を戦い続けた事で知られる小野田寛郎元少尉が、16日に亡くなられた。以下は産経の追悼記事である。

『小野田さんの戦いは終わった。91歳の生涯を貫いたのは「誇り」と「不撓不屈(ふとうふくつ)」だった。
 40年前のあの衝撃は、いまも鮮明に記憶している。ルバング島での初めての会見は、私たち報道陣への敬礼で始まった。質問にはひとり一人と正対し、よどみなく答えていった。手製の軍服は繕われ、ボタンもしっかりついていた。
 毅然(きぜん)とした立ち振る舞いは何なのか。謎が解けたのは、28年後。再会した小野田さんは「大切なことは“らしさ”です。“らしさ”とは自分の役割が何であるかを把握し、責任を持って遂行すること」と話した。孤独な戦いを続けながら「日本人の誇り」に通じる“らしさ”を磨き、表現したものだった。
 帰還後、小野田さんはブラジルへ渡り、成田空港よりも広い牧場経営に成功した。なぜ、そこまで戦い続けるのか。
「自然が好きなんですよ。その気になればどこでも食っていけますから」
 あの牧場は、小野田さんの意地の証ではないか。「自分は戦争屋じゃない」との思いもあっただろう。
 あの日と同じように、背筋を伸ばし、謙虚でつつましく歩み続けてきた小野田さん。風化しない生粋の人間を、また一人、失ってしまった。(msn産経ニュース)』(http://sankei.jp.msn.com/life/news/140117/trd14011719390017-n1.htm

 私はジャングルで30年間戦い続けた小野田少尉と、それから降伏せずに玉砕した多くの日本兵硫黄島で劣勢でありながら日本を上回る死傷者を米軍に与えた日本軍の例をもって、第二次世界大戦最強の兵士は日本兵であったと断言する。その傍証として、米軍の装備で連合軍側で戦った日本人部隊442部隊(http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20121221/1356072279)が、ドイツ軍の抵抗を打ち破り、米陸軍の中で最も多くの勲章授与部隊となった事も加えれば、日本兵が当時、世界最強の兵士であった事は、完全に疑いようの無い事実だ。
 では、その最強日本兵大東亜戦争で負けたのは何故か?
 その主因として、工業力の劣勢・戦略や指揮の拙さが言われる事があるが、いずれも的外れである。最も大きな原因は、米軍が戦時国際法無視の残虐非道な戦い方をした事にある。一つは大規模都市爆撃。もう一つは、無制限潜水艦作戦である(http://ww5.tiki.ne.jp/~people-hs/data/5826-4.html 因みに米英は自己の罪を問わず、独海軍司令官デーニッツを無制限潜水艦作戦を命じた理由でニュルンベルク裁判において禁錮10年の刑に処している)。
 そのいずれの作戦も、日本は大東亜戦争で積極的に行っていない(事実として日本軍は多くの作戦で民間居住区域や輸送船への攻撃を避けた)。日本軍の中では、そんな外道な作戦は、行うべきでないと考えられていたからだ(因みに日本が支那事変で行った重慶爆撃は、宣伝されるような無差別都市爆撃では無い http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-430.html)。
 もし米軍が、大規模都市爆撃、それから無制限潜水艦作戦という2つの重大な戦時国際法違反をしなかったら、資源供給ルートと産業基盤が維持出来るので、最強日本兵を擁する日本は、絶対に負けなかっただろう。アメリカは卑劣な手段で日本に勝ったのである。
 その国際法無視の卑怯な手段で日本を破壊したという事実を正当化する(そして戦後日本の思想的抵抗を封じる)為には、日本を凶悪な犯罪国家に見せかける必要があった。その為に、東京裁判というインチキ裁判をデッチアゲて日本を戦争犯罪国家に仕立てた。アメリカは、二重に卑怯なのである。
 自己の非道性を相手のせいにして誤魔化す。これは、国際社会で今も有効な、繰り返し使われるロジックなので、簡単にやられてはいけない。小野田さんの生きざまは「不撓不屈=簡単にやられるな」というメッセージを日本人に教えてくれている。日本人は、そのメッセージを生かさねばならない。
 諦めなかった小野田少尉は、個人として大東亜戦争に勝利したのだと思う。日本人は、小野田さんの戦いに続くべきだ。天寿を全うされた小野田さんのご冥福をお祈りしたい。



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