人を殺してもいい?


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 三鷹ストーカー殺人事件の犯人、池永チャールストーマスは謝罪を拒否した。
『東京都三鷹市で2013年10月、元交際相手の高校3年の女子生徒(当時18歳)を殺害したとして殺人罪などに問われた無職、池永チャールストーマス被告(22)の裁判員裁判は24日、東京地裁立川支部(林正彦裁判長)で被告人質問があった。被告は生徒や遺族への謝罪について「後悔はあるが、まだそういう気持ちに至っていない」と拒否した。
 被告は11年末の交際開始後、生徒に対し、母親からネグレクト(育児放棄)を受けるなどした自身の成育歴を告白。真摯(しんし)に聞いてくれたため「彼女が心の大部分を占めるようになった」と振り返った。
 13年6月に生徒の父親から連絡をしないよう言われた後は、別の女性と交際するなどしたが諦めきれず、7月中旬には「この苦痛から逃れるために彼女の殺害を意識するようになった」という。
 生徒への現在の心境を聞かれると、「非常に好きなので、彼女が直面した死の恐怖、苦しみ、痛みを味わい、共感してみたい」と答え、遺族への謝罪については「苦しんでいることは想像できるが、共感はできないので、言える段階ではない」と拒んだ。
 弁護側が心理鑑定を依頼した山梨県立大の西沢哲教授(臨床心理学)への証人尋問も行われ、西沢教授は幼少期の虐待やネグレクトでアイデンティティーの形成が不十分だと分析。その上で「心理療法などによる治療が可能で、一定の更生の可能性がある」と結論づけた。(毎日新聞 2014年07月24日)』(http://mainichi.jp/select/news/20140725k0000m040104000c.html
 無期の求刑に対し東京地裁は、この男に懲役22年を言い渡した(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014080202000119.html)。
 どう思います?、これでいいんでしょうか?
 女性を無慈悲に殺して反省もせずに懲役22年。これって、ある意味、我々の社会が殺人も認めている事にならないのでしょうか。
 つまり、懲役22年という代償を払う気があるなら、自分のわがままで女性を殺しても良いと、社会が認めた訳でしょ。いいんですか?
 最近、検察官も裁判官も、恵まれた幸せな暮らしをしている人が多いんだろうな、と、つくづく思います。彼らは、社会の中では極一部の勝ち組です。
 そういう人からすれば、懲役22年は想像もできない過酷な刑に思えるのかも知れない。だけど、ハッキリ言って今の時代、底辺層の生活は、刑務所以下の苦役になっているという事はザラにある。
 仕事も無く孤独で一人暮らし、他人との接触も無いような人は、普通に生活していても刑務所に入っているのと同じだ。生活が向上するビジョンも無い。そういう人にとって、懲役22年は罰でもなんでもない。むしろ憧れかもしれない。
 22年間、生活が保障される。規則正しい生活、刑務所に居れば仲間も出来るし、本を読んだり考える時間も沢山出来る。ワーキングプア的生活者から見れば、一つの理想の生活であって、ちっともではない。
 人を殺して、そういう22年間が手に入る・・・これでは我々の社会は殺人を容認してる事になりませんか?
 江戸時代に科されていた死刑の中で最も重い刑罰に、のこぎり引きの刑というのがあった。そういうのが、本当の罰でしょう。
 懲役22年では殺人の抑止になりません。
 


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