反省12月8日、核武装しないと戦争になる!


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 73年目の開戦記念日。12月8日というのは、本来我が国にとって大きな意味を持つ日だ。
 ところが、この日は現代では左翼が反戦を叫ぶ日になっており、一般の人は何もなかったかのように忘れるべき日になっている。
 73年前の今日、日本は米英に宣戦を布告した。
 何故あの日、日本は戦争を始めねばならなかったか。今日では多くが忘れられ、情報も撹乱されている。しかし冷静に事実を精査すれば真相は自ずと明らかだ。
 まず米国が日本に対し経済戦争を仕掛けて来た。その結果、日本は鉄や石油が全く入手できなくなった。放置すれば日本経済が崩壊する。日本経済が崩壊したらどうなるのか?
 国内の不満分子が暴発する。共産革命さえ予測しえた。スペインのように内戦が勃発し、そこに外国政府の介入を招く恐れもあった。そうなれば皇室の維持も難しいだろう。
 帝国は長期に混乱し、崩壊する。
 それを避けるため、日本は誠意を持って日米交渉を繰り返した。しかるに結果はハル・ノートである。
 日本に「死ね」と言ったのはアメリカだ(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1951-60/1951_makasa_shogen.html)。
 ハル・ノートは受け入れがたかった。そこには経済戦争終結の条件として、日本が獲得した海外領土の放棄が要求されていた。
 そんな事を受け入れれば、軍が暴発するのは当然として、当時の国民も新聞も黙ってはいないだろう。クーデターが起こり、国家は制御不能となる。
 それを避けるには、軍事的に資源地帯を獲得するしかなかった。当然アメリカと戦争になる。しかし日本は国力に劣っていたから、勝つのは難しい。
 だから先制奇襲攻撃をせざるを得なかったのである。
 だが日本の敗北は予見できていた(http://ktymtskz.my.coocan.jp/ootuga/inose.htm)。それでも日本が戦争を選んだ事情は、当時の海軍軍令部総長永野修身の言葉に表されている。
「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。」
 そして日本は敗れた。
 酷い敗北だった。300万人の日本人が死んだ。その原因は国際法を無視したアメリカの非道な戦争手段にあった(http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20140118/1390016162)。そして国際法を無視した東京裁判によって、日本は悪と決め付けられた。酷い事だ。
 しかし皇室は維持され、国体は護持された。戦後日本は繁栄した。
 全ては、その為の犠牲であったのだ。
 日本を残すために、日本国民は全力を尽くした。


 その歴史を省みて反省する事は何か?
 一つあるとすれば、アメリカに侮られ、挑発を招いた事だ。当時のアメリカは日本を弱いと思っていた。だから日本との戦争を全く恐れていなかった。支那事変さえ収拾できない日本など、簡単に捻り潰せると思っていたのだ。
 ワシントン軍縮条約で英:米:日の戦艦の保有率がそれぞれ5:5:3と定められていた。日本は1934年に軍縮条約を脱したが、軍艦は直ぐに増やせない。だから、その影響は開戦時まで続いていた。
 米英合わせ10の戦艦に対し、日本は3である。3倍以上の開きがある。そしてアメリカは史上最大の建艦計画であるヴィンソン計画に既に着手していた。だから米大統領ルーズベルトには、日本に絶対負けない自信があったのだ。
 日本が真珠湾攻撃で米戦艦を狙ったのは、そのアメリカの優位を崩す為だった(戦争が始まるまで、航空機の力は十分認識されていなかった)。
 日本は弱いと思われ、ハル・ノートを突きつけられた。侮られた日本は逆上し、真珠湾で一矢報いた。
 もし日本が、アメリカと同等か、それを超える数の戦艦を予め持っていたら、アメリカは日本を挑発しようと絶対に思わなかったはずだ。そうすれば真珠湾攻撃も無かったのだ。
 あの戦争の真の反省点はそこにある!
 良く調べれば、定説に反し、戦前の日本は極めて平和主義的であった事が分かる(多くの人が全く反対に理解している)。日本政府は軍事費の増額を渋り、支那への派兵増強も渋っていた(貧乏国故、やむを得ない面はあるが)。それで軍の不満は大きくなっていた。
 しかし結果を見れば、実際は軍の主張の方が正しかったのである。
 もっと軍事費を増大し戦艦を作り、更に支那への派兵も増やしていれば、米英に侮られずに、そして支那事変も早期に決着していただろう(支那事変は蒋介石が日本に仕掛けた戦争である)。しかし日本は大陸での戦闘拡大を望まなかったから、支那駐屯軍を増強して重慶侵攻するのではなく、経済封鎖で蒋介石を打倒しようとした(フランスと交渉し仏印進駐までして蒋介石への補給ルートを塞ごうとした!)。
 戦前の日本は全然軍国主義などではない(http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi04.htm)。やっていた事は、せいぜい現代のアメリカやロシアがしている事と変わりがなかった。日本が国力の全てを軍に投じ、軍国主義になったのは、戦争末期、負け込んで追い詰められ、総力戦体制に入った時だけだ(http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/10/post-9efd.html)。
 もし日本が戦前から軍国主義で、軍備を増強していたら、あの戦争には絶対にならなかった。
 戦前の日本軍は世界から見下されていた。戦艦の数では明らかに劣勢(戦艦大和・武蔵が完成したのは開戦後である)。陸軍には、まともな戦車も無かった(装甲は薄く、砲は貧弱、鉄の棺桶と言われ、ノモンハン事変ではソ連の戦車に敗北した)。日本の戦闘機は全て二流だと思われていた(だから戦争が始まった時、世界は零式戦闘機に驚愕した)。
 日本が戦前から本物の軍国主義で、世界から軍事強国と思われていたら戦争にならなかった(http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20120916/1347764375)。それが、あの戦争の正しい反省点なのだ!
 ところが、今日、事実は完全に逆に伝えられている。
 滑稽でもあり、恐ろしい事でもある。
 何故って、そのせいで、戦前と同様、日本は平和主義的で、非力な軍事力しか持たず、戦前同様、周辺国から侮られ、挑発を受けているからだ。
 その結果は、戦前と同じだろう。
 戦争になるのだ。
 平和を望むなら、相手が恐れる軍事力がどうしても必要だ。精神力だけで平和は維持できない!
 ところが今、一発の弾道ミサイルも、核も無い。
 これで日本が戦争を避けられるとは到底思えない。
 私は本当に恐ろしい。このままでは戦争は避けられないだろう。戦争は、弱過ぎるライバルをやっつけ、自己の優位を決定的にしようとして起こるのだ。
 日本は直ちに核武装すべきである。
 それが、あの悲惨な戦争の歴史から汲み取れる唯一本当の反省点である。嘘だらけの歴史観に騙されてはならない。



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