ダッハウを解放した日本人
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ナチス収容所解放70年、独南部で追悼式典が行われ、独首相らが出席したという。
『ドイツ南部ダッハウにあるナチスの強制収容所が米軍に解放されてから70年を迎えたことを記念し、収容所跡で3日、ドイツのメルケル首相や元収容者などが参加して追悼式典が行われた。
ダッハウの施設は、ナチスが政権掌握後の1933年に初めて設置した強制収容所。のちに設置された収容所のモデルになったとされる。
鉄製の門扉にはドイツ語で「アルバイト・マハト・フライ(働けば自由になる)」との表示が取り付けられていたことでも知られる。表示はユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の舞台となった収容所の象徴的なスローガンとなった。
米軍が45年4月29日に解放するまでに欧州全土からユダヤ人や少数民族のロマなど20万人以上が収容され、4万人以上が犠牲となった。
鉄製の門扉は昨年11月、盗難に遭い、当局はことし4月、複製を取り付けた。
オバマ米大統領は4月29日に発表した声明で、同収容所の犠牲者や戦闘で命を落とした米軍兵士に哀悼の意を表明。「こうした残虐行為が二度と起きないことを誓う。歴史は繰り返されないだろう」と強調した。(2015/5/3 日本経済新聞)』(http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM03H16_T00C15A5000000/)
日本は、ドイツのような戦争犯罪をしていない!
昨日も述べたけど、世界の人も、そして日本人も、この事実を錯覚している(http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20150503/1430652114)。日本とドイツの戦争は全く別の物で、戦争目的も異なり、二つの戦争は直接リンクしていない。
それ故、ドイツの戦争犯罪は、日本には全く無関係である。
日本は、ただ戦争をして負けただけだ。にも拘らず、東京裁判では、連合国に戦犯の汚名を着せられた。だから日本人は、その事に憤慨しているのである!
ところで、ダッハウ強制収容所を解放したのが日本人だという話を知っているだろうか?、正確には日系人なのだが。
リトアニア生まれのソリー・ガノールという名のユダヤ人が、体験談を「日本人に救われたユダヤ人の手記」という本に書いている。
ソリー・ガノールはナチスの手が迫って来た頃、リトアニアで杉原千畝氏に出会い、杉原千畝氏から早期の脱出をアドバイスされた。しかし決断が遅れ、ドイツ軍に捕まって数々の収容所を転々とした後、ダッハウ強制収容所に入れられた。
そして杉原氏の姿を最後に目にしてから5年もたったのち、彼は再び日本人に助けの手を差し伸べられ、驚いたそうだ。正確には、ダッハウ強制収容所を解放した日系人部隊、米陸軍第442歩兵連隊所属の第522野戦砲兵大隊の兵士(全員日系人)に助けられたのだ(http://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=10152357672479796&id=285925569795)。その事実は、何故か1992年まで公開されなかったという。
当時は敵だったとは言え、日系人部隊の活躍は素晴らしい!(http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20121211/1355241465)
皮肉なことに、第442歩兵連隊に所属する日系人の家族たちも、アメリカで強制収容所に入れられていた。当時、日系人は敵対国をルーツに持つ移民というだけで、全財産を没収され、アメリカの砂漠地帯にある収容所に集められていたのだ。正しくそれは、アメリカによる人種差別的非人道行為であった!
つまりドイツだけでなくアメリカも又、第二次世界大戦では、巨大な国家犯罪を行ったのだ(それに類する事は、植民地を持つイギリスや、シベリア強制収容所を持つロシアもやっていた)。
一方の日本は、そうした国家レベルでの戦争犯罪行為を、殆どしていないのである。
<日本人に救われたユダヤ人の手記 単行本>
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