70年「配慮」談話


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 安倍首相が戦後70年談話を出した。
『70年談話「独自の新たな謝罪は示さず」 欧州でも報道相次ぐ
 英ロイター通信は14日、安倍首相が過去の「村山談話」や「小泉談話」を念頭に「繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と述べたことに関して、「彼自身の新しいおわびは表明しなかった」と報じた。
 英国放送協会(BBC)は、安倍首相が過去の政権の謝罪を支持したものの、独自の新たな謝罪は示さなかったと指摘。安倍首相は地域の重要な同盟国である中国と韓国の怒りを買わないようにすると同時に、度重なる謝罪の要求にいら立ちを感じている国内のナショナリスティックな声にも配慮する必要があったと報じた。
 仏AFP通信は「痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の哀悼の誠をささげます」の部分を仏訳して報じ、談話の内容と表現にはアジアの近隣諸国が注目していたなどと解説した。また安倍首相が、将来の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないと語ったことも伝えた。(2015/8/14 日本経済新聞)』(http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM14H6L_U5A810C1FF2000/
 うーん。


 BBCが指摘した「安倍首相は地域の重要な同盟国(?)である中国と韓国の怒りを買わないようにすると同時に、度重なる謝罪の要求にいら立ちを感じている国内のナショナリスティックな声にも配慮する必要があった」という見方は、そうなんだろうな、と思う(同盟国という部分は誤記だろうが)。
 で、こんな談話、出す必要があったのか?
 公開された全文読んでみたが(http://jp.reuters.com/article/2015/08/14/factbox-abe-statement-idJPKCN0QJ19620150814)、結局、色んな配慮をした結果、無味乾燥なものになってしまったのではないか?
 そもそも安倍さんが70年談話を出すと言い始めたのは、村山談話など、過去の自虐的な談話を打ち消す・・・というのが最初の発端であったように思うのだが・・・。
 ところが今回の談話では、周辺国や野党に配慮した結果、表向きは村山談話などの過去の談話を受け継ぐとする立場になっているのだから、本末転倒な事になっているのだ(事前にアメリカの了解を取ったらしい・・・)。
 全く意味が分からん。
 そんな事なら、談話を出しても詰まらない波風が立つだけで、何の意味もないのだ。
 村山談話を打ち消すという目的があったのなら、その目的の達成の為に、多少波風が立っても安倍さんは信念を吐露すべきではなかったか?(信念があればだが・・・)
 結局、ヘタレてしまい、余り意味の無い談話になったと思うのである。

 
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