原節子さんは、何故早く引退したか?


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 亡くなった事が伝えられた原節子さん。謎の半生について、同居人のおいが生活ぶりを語ったという。
『肺炎のため、9月5日に95歳で亡くなった“伝説の大女優”原節子(本名・会田昌江)さん。神奈川県鎌倉市の自宅近くでは、住民らがその死を悼んだ。
 もともと外出好きでなかった原さんは、足腰が弱った80歳ごろから、さらに外出の機会が減ったという。「最後に見かけたのはもう30〜40年前」という住民がほとんどだ。「すれ違う時は手をかざして顔を隠すんですけども、あれだけきれいだから分かっちゃうのよ」とある住民は懐かしんだ。
 同じ敷地に住んでいた原さんのおい(75)は本紙に「本や新聞を読んだりテレビを見たり、普通の老後でした。本人は[あと5年は生きたい]と言っていました。経済に興味があって、新聞広告で読みたい新書を見つけると[買ってきて]と頼まれてました。異常気象にも気をもんでいて[もっと住みづらくなってしまう]と心配していました」と明かした。
 原さんは映画「晩春」や「東京物語」でタッグを組み、結婚の噂もあった小津安二郎監督(享年60)の死去直後、42歳で引退。以後50年以上、表舞台に出ることも、自身の口から引退理由を語ることもなかったのは、本紙昨報通り。
「もともと目立つことが好きではなく、女優もずっと続けようと思ってはいなかったようです。白内障にかかり、撮影のライトを浴びるのも苦痛だったのでしょう。自分の出演作やインタビュー記事も持っていなかったし、女優時代の話も一切しなかった。写真も少し前に、全部自分で破って捨てていた」(同)
 映画関係者との交流もほとんど絶った原さんだが、70代くらいまでは毎年1回、小津監督が眠る鎌倉・円覚寺にお参りした。生涯独身を貫いたが「縁談の話もないではなかったですが、本人があまり乗り気でなかったんじゃないかと思います」(同)という。
 原さんは8月中旬に肺炎と診断されて神奈川県内の病院に入院。親族に見守られながら息を引き取ったという。(2015年11月28日 東スポWeb)』(http://news.livedoor.com/article/detail/10886009/
 何故、原節子さんは42歳で引退したのか?


 本人が語らぬまま亡くなったので、多分、永遠の謎だろう。
 只、勝手に想像しただけだが、理由について私には何となく想像がつく。
 それは多分、戦争と関係がある。
 原節子さんと言えば、ドイツのアーノルド・ファンク監督による初の日独合作映画「新しき土」のヒロイン役に抜擢されたことで有名だ。
 この「新しき土」という映画は、ナチスが日本側を日独伊三国同盟に引き込むための謀略として作られた側面がある。更にドイツ国内の反日感情を抑え、日独融和へ導く意図もあった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%8D%E5%9C%9F)。
「新しき土」は1937年3月に公開。因みに、ドイツはこのような日独融和工作を進める一方で、同年8月には蒋介石の軍事顧問であるファルケンハウゼンを使って上海の日本軍を攻撃させている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89)。つまりドイツは、アメとムチで日本を三国同盟へ押し込んだのだ(シナの圧力で米国の罠、TPPに誘い込まれた今の日本と同じような・・・)。 
 原さんは、ドイツでナチスの高官と会い、宣伝大臣のゲッペルスと記念写真も撮っているが(http://shihlun.tumblr.com/post/134013299174/reception-at-the-japanese-embassy-in-berlin-on-the)、勿論、ドイツの謀略のような裏事情は全く知るよしも無かったろう。
 そして日米開戦後は「ハワイ・マレー沖海戦」、「決戦の大空へ」、「勝利の日まで」、「望楼の決死隊」など、日本の国策映画に多く出演した。


 戦時中の原さんは義兄である熊谷久虎という人物の影響で「ユダヤ人謀略説」を唱えていたとも言われるが(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%AF%80%E5%AD%90)、その話が本当かどうかは分からない。
 それと言うのも、ここまで書けば分かるように、原さんは、敗戦後、急激に左傾化した日本に於いて、ややもすると「戦争協力者」として批判に曝されかねない経歴を持っていたのだから。当然、中傷にも曝されたろう。
 戦後日本の映画界は、左翼の巣窟である(http://www.sankei.com/west/news/131205/wst1312050029-n2.html)。
 恐らくは、そんな日本映画界が肌に合わなくなったか、或いは理知的な原さんのこと、する必要の無い自己批判の気持ちに苛まれたのかも知れない。それで映画界から身を引く決心をした・・・。
 或いは、もしかしたら映画界の左翼から積極的なパージにあったのかも知れない。レオナール藤田やレニ・リーフェンシュタールのように、排除された。多分、小津安二郎は、そういう見えない圧力から、原さんを守っていたのではないか?
 だから、小津の死と共に、原さんは映画界から身を引く気になったのではないのか。
 今になって、原さんの早すぎた引退と謎の生涯を、「美しいまま引退した」、「女優の鑑(かがみ)」などと、まるごと美談のように語る映画人は、ちょっと疑わしいと思うのである。そして、映画界の左巻き体質批判に繋がる話を、左巻きマスコミが語ることは絶対に無いのだ。
 私は原さんの早すぎた引退と、ひっそりとした死が残念だったと言うより、原さんが仕事を続けたいと思う気持ちを萎えさせた、戦後日本の堕落した映画界そのものが残念であったと思うのだ。
 原さんが引退した頃から、日本映画界の堕落化・左傾化は益々強まり、それが今に至るまで続いているのだから。




 
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