日本的なるものの維持


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 朝日新聞が日本人だけでない社会づくりを提唱している。
『■外国人@ニッポン 国士舘大教授 鈴木江理子氏(50)
 生活風景のあちこちで外国人が目立つようになった日本。多国籍化はいつから始まり、どこへ向かうのか。日本と外国人の関係に詳しい鈴木江理子国士舘大教授(50)が解説する。
 日本では1952年の主権回復以降、累積で50万人以上の外国人が日本国籍を得た。初期の国籍取得者の多くは旧植民地の人で、外見的には想像の範囲内の「国民」だった。それが日本国籍を取得する人の多様化で、私たちが想定していなかった「国民」が存在している。
 80年代後半から日本で暮らすニューカマーが急速に増えた。さらに国籍を取得する人や、国際結婚で日本人と外国人の間に生まれた「ダブル」と呼ばれる人が増え、国民自体が変容した。国際結婚は80年代後半から増加し、現在では30組に1組が国際結婚です。
 「ダブル」の人たちは、最近はスポーツ界で注目されている。芸能界はもともと、在日コリアンが多く、ルーツを隠したまま活動していたが、今は自らルーツを公言できる環境になった。かつてのそうした芸能人は、ルーツを明かすことによって社会的に下される評価をネガティブに捉えていた。そう捉える人は今でもいるが、誇りが持てる人が増え、誇りを持たせる空気が強まってきたのは非常に大きい。在日コリアンや、ニューカマーの増加に伴って増えた「ダブル」の人たちが、芸能界やスポーツ界で活躍できるようになったことは、よい兆しだ。
 ニューカマーの増加に伴い、日本語指導が必要な日本人児童・生徒も増えた。その中には帰国子女もいるが、日本国籍を取得した外国人や「ダブル」の子などもいる。日本国籍があることと、外見は必ずしも一致しないし、日本語が母語であるとも限らない。日本人が多様化している。
 ■進む「多文化化」
 外国人は一定期間、日本にいて、やがて帰る人たちだと思われていた。それが定住化となると、母国の生活を日本でも楽しみたくなり、その生活を支えるエスニックショップが生まれた。また、イベントも、かつては外国の文化に触れるために日本人が主催する「国際交流イベント」が主流だったが、今は外国人が母国の行事を日本で楽しむ「エスニックイベント」が増えている。
 多様な宗教を持つ人が日本で暮らすようになり、モスクは日本でも一般的となった。イスラムの人たちが暮らす街には、ハラルフード店がある。今は大学でもハラル食堂が増えている。イスラムの女の子向けに、肌を露出しないスクール水着も日本で売られている。
 子どもの中でも多文化化は進む。日本の学校は同化圧力が非常に強い。異なる子が受け入れられず、いじめが起き、学校の中に居場所がなくなる。多くの外国人ルーツの子どもが通う学校では、子どもたちの多様性をいかに受け入れるかを試行錯誤する中で、子どもたちの母語であいさつを記した紙を掲示し、多様なルーツを持つ子どもがいることを伝えるといった取り組みをするところもある。地域で見かける表示も多言語化していき、外国人観光客向けではなく、生活している人に分かる言葉で必要なことを伝えるための表示になった。
 国勢調査もそうだ。85年までは英語の対訳だけだったが、90年以降、多言語化し、2010年から27言語となった。今年の国勢調査も同じだ。総務省によると、日本語以外が母語でありながら日本で暮らす人たちの9割をカバーできるという。日本語を母語としない人がいることを前提に調査がされている。
 こういうことは、気をつけて見ないと分からない。日本の人口における外国人の比率は1・7%程度。多様化しているとはいえ、マジョリティーは絶対的に日本人なので、なかなか見えにくい状況があるのも事実だ。よく見ていくことで、変化していく社会を知り、日本語だけではいけない、日本人だけを前提に様々な制度をつくっていくだけではいけないなどと考えるきっかけにしてほしい。(2015年11月19日 朝日新聞デジタル)』(http://www.asahi.com/articles/ASHCL4T7MHCLOIPE014.html
 芸能界やスポーツ界だけでなく、今やグローバル化が進み、日本社会の上層を構成している高所得階層で混血や移民が増え、その無国籍化が進んでいる。


 また一方、日本社会の底辺部においても、安い労働力として移民的な人々が増え、日本に定住するようになっている。
 このようにして、より長いスパンで見ると、日本社会の上層と下層の二つの領域で日本居住者の無国籍化が急速に進んでいるのである。
 これは、日本という国家の構造が歴史的に持つ宿命とも言える。
 即ち、日本は島国であり、その内部において、平和で安定的な社会を維持しているが、そこには根強い伝統的な秩序があり、新興勢力が成長していける余地が少ない。では、日本の場合、どこで急激な成長が起こるかと言うと、常に外界との接触点、即ち、日本の周縁部で起きる。
 日本国内と海外で得られる産物の内外価格差を利用した貿易、それによって国内生産を遥かに凌駕する巨大な富が生みだされる。
 そして貿易による莫大な富を握る集団が、いつの時代でも常に日本国内に於いて権力へ接近しやすいポジションに就く。その巨大な富の力に対抗しうる勢力は、日本の貧乏な地場産業を背景にした勢力の中からは育たない。
 当然、海外との交易、貿易の利権を握る集団には、一定程度、外国人が侵入する(例えば、今ならば日本にアパートやマンションを立てて家賃収入を得ながら、海外との貿易で大金を儲けている富裕な外国人の一族とか、日本中のあちこちに大勢住んで居る・・・日本の支配層は、構造的に富を持つ外国勢力と結びつく事が宿命付けられている)。
 今だけそうなっているのではなくて、時代を遡っても、鎖国してない時代の日本は、大体、そういう社会構造になる。


 それが日本の特徴である。
 歴史的にそうだったのは、例えば日本語における外来語の多さを見れば分かる。
 初期には漢字が導入され、その後、オランダ語スペイン語ポルトガル語が侵入し、明治維新以後はドイツ語やフランス語、そして戦後は急速に英語が入って来た(それらの多くは、単に知識と言うだけでなく、権力者と結びついた外国の人々と共に入って来たのである)。
 そうやって日本には、融通無碍に色々な物、文化、そして雑多な人々が入って来る。日本とのビジネスで富と力を得た外国人は、金銭的なパワーを使い、様々な形で日本社会に介入し、色々な文化を根付かせるようなこともする。あの韓流ブームなんかがそうであったし、例えばキリスト教系の人が持ちこむクリスマスとかハロウィンとかもそうだ。そして大多数の日本人は、そういうものを抵抗なく簡単に受け入れてしまう。
 本質的に、日本人は排他的な民族では無いのである。今だって、熱心に外国語を勉強している人が、日本には掃いて捨てるほど居るのである。
 しかし日本に対する外国勢力の影響力が大きくなり過ぎれば、日本社会は自然に防衛的になり、鎖国的な傾向が出て来る(例えば二・二六事件青年将校達が叫んだのは海外勢力と結びつき利権を握る権力者達の排除であった・・・最近で言えば、嫌韓も自然な防衛反応であろう)。日本社会は、解放的な時代と鎖国的な時代を交互に繰り返しながら変化する。
 私は大量の移民には反対だし、日本を日本人以外の人の為の日本にすることにも当然反対だ。日本は日本人のものであるべきだし(当たり前だ!)、外国人が一生日本に定住して生活するつもりなら、日本人になって住むべきなのである。
 昔からギリギリのところで踏みとどまりながら、日本は日本らしさを失わずに何千年もやって来たのである。それが出来たのは、恐らく日本の中に古来より神道の伝統が根付き、また万世一系のご皇室の繁栄があったからだ。
 だから今、日本社会の上層と下層に外国人成分が多少増えようとも、中層に位置する我々日本人が、確固として神道の伝統とご皇室を強力に守り続ければ、日本社会は維持できるものと確信する。しかし、その為には日本を守ろうという日本人の意思と努力が益々必要だと思うのだ。

 
<神話をひも解きながらめぐる 神社の旅    文庫>


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