多言語避難放送は正しいか?


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 桜島で大規模噴火訓練が行われ、外国人向けに英語、中国語、韓国語の3カ国語を加えた避難放送も行われたという。
鹿児島市桜島で12日、大規模噴火を想定した防災訓練があった。昨年夏に一時、大規模噴火への警戒が高まった際の課題を踏まえ、外国人観光客向けに3カ国語で避難を呼び掛ける放送を流すなどの新たな内容を取り入れた。
 市や鹿児島県など約150機関の関係者や一部住民が参加。市職員らが防災無線で避難指示を出し、住民をフェリーに乗せて島外へ避難させる手順を確認。
 昨年8月の大規模噴火警戒時には外国人観光客への周知が行き届かず禁止区域に立ち入る事例があったことから、島内のスピーカーで流す放送には従来の英語に中国語、韓国語も加えた。
 市が避難所以外に身を寄せた住民の避難先を把握するのにも手間取ったため、消防団員らを動員し、避難先を記したカードを各世帯から確実に回収できるよう演習。訓練は1971年から毎年行われており、今年で46回目。(2016.1.12 産経ニュース)』(http://www.sankei.com/photo/daily/news/160112/dly1601120015-n1.html
 訓練なら兎も角、緊急時にも多言語で良いのか?


 いや、外国人の命を軽視しようというのではない。戦後最悪の被害を出した2014年の御嶽山噴火のような突発的なケースを想定しているのだ(生還女性が初めて語る「あの時」 「焼け死ぬのか、溶けるのかな…」)。
 一分、一秒、一刻の差が生死を分けるのが緊急事態である。
 その緊急事に、多言語というのは悠長過ぎないだろうか?
 例えば、テロなどで多数の負傷者が出た緊急時の医療現場では、トリアージと呼ばれる作業が行われることが知られている。より多くの負傷者を助ける為、助けられる見込みの低そうな人は、治療を後回しにするのである。まず、助けられそうな人から治療して助けるのである。
 そうした考え方で言えば、緊急事態になった時、まずは最も多くの人を助けるための最善の方策が考えられなければならない。非情かも知れないが、一番多くの人を救うために少数者は犠牲にするのが最適解である場合もあるのである。


 突然だった御嶽山噴火のようなケースを想定するなら、日本語、英語、中国語、韓国語による繰り返しの緊急放送というのは、冗長過ぎないだろうか?
 聞きなれない言葉の混じる放送を良く聞きとろうとしている間に、噴石や噴煙が来てしまうかも知れないのだ。幾らなんでも、せいぜい日本語と英語の2ヶ国語ぐらいに止めるべきではないのか?
 そもそも観光の国際化により、日本語、英語、中国語、韓国語のいずれも理解しない外国人観光客だって、最近は多くなっていることを考慮すべきだ。とはいえ、更に多言語化するのは益々混乱して現実的では無いだろう。風向きや騒音など何らかの事情で放送が断片的にしか聞こえない場合には、多言語化することで聞き取れるものも聞き取れなくなる可能性大である。
 だとすれば、言語のみに頼るのではなく、日本語の声のトーンや切迫感、音響などで危険を感じさせる方法なども工夫して検討すべきではないのだろうか。
 海外諸国の外国人に等しく親切にしたいという日本的な優しい気持ちは分かるのだ。しかし、その結果として最大多数の日本人の命の方が蔑ろにされるのならば、本末転倒ではないか。

 
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