悪を滅ぼす原爆?


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 米新聞によると「多くの米国人は、新たな原爆投下を容認する」そうだ。ロシアの報道。
オバマ大統領の歴史的な広島訪問を前に、新聞「The Wall Street Journal」は、核兵器に対する米国人の態度に関する記事を掲載した。
 新聞によれば、1945年、米国の世論は、広島と長崎に対する原爆投下を支持した。当時の世論調査では、アンケートに答えた人のうち53%が、米国は、それが行われたように、日本の複数の都市に原子爆案を投下すべきだったと答えている。なお当時、原爆使用に反対したのは4%に過ぎなかった。
 これに対し今回実施された調査では、1940年代の出来事と状況は同じながら、敵国が日本ではなくイランだとする架空のシナリオを米国人に示したところ、その結果は「驚くべきもの」になった。新聞報道によれは、アンケートに答えた人のうち何と59%が、イランへの原爆投下を支持したとのことだ。
 新聞「The Wall Street Journal」は「こうした結果は不安を呼び起こす」と指摘し「1945年のように今日、もし原爆使用問題が検討された場合、米国の世論が、大統領の決断を押しとどめることはおそらくないだろう」と結論付けている。(2016年05月20日 スプートニク日本)』(http://jp.sputniknews.com/us/20160520/2170131.html
 多くのアメリカ人にとって、原爆投下は正義なのだから、この結果は当然だ。


 正義だと思っているから、原爆投下に謝罪なんて有り得ない。当然、また使うだろう。
 日本人から見れば、原爆投下が正義なんて、有り得ないと思う。多くの罪無き人が死んだからだ。民間人虐殺、戦争犯罪だ!
 この明らかな悪が、どうしてアメリカ人には正義に見えるのか、多くの日本人は不思議に思うだろう。そこには、単なる戦争の勝ち負けを超えた、文化的な差異がある。
 実は、日本人とアメリカ人では、正義の感覚が異なる。
 日本人にとっての正義は、人間の正義だ。相手を人間として捉え、相手が嫌がる事をすれば悪い事をしたと思う。人間関係で自然に捉えられる正義の感覚。
 それに対し、アメリカ人にとっての正義は、「神の正義」なのだ。
 アメリカは基本的にはキリスト教の国。大統領も、しばしば神の名を口にする。一種の宗教国家である。多くの市民が、今も日曜には教会へ行く。
 だから、アメリカ人が正義を口にする時、それは、彼らの「神」の視点から見た正義なのだ。


 日米戦争を、アメリカ人は悪(Evil)との戦いと認識している。その時戦った日本人は、人間ではなく、悪魔に憑依された悪の化身だと見做される。同じ人間とは見做さない。
 その邪悪な「日本人」の意思を原爆によって破壊し、日本に憑依した悪魔を払い、世界に正義を齎した。
 日本人には受け入れ難いが、アメリカ人は、このよう世界を捉えるから、原爆投下を正義だと言う。神の視点で見れば、人間など小さな存在だ。旧約聖書に書かれたソドムとゴモラの話のように、悪徳を破壊する為に、神は人間を無視して都市を丸ごと破壊したりする。
 神は残酷だ。
 多くのアメリカ人は、正義を実現する為の残酷さを受け入れている。だから、原爆投下を正義と見做せる。
 一方、多くの日本人にとって、正義は人間のものだ。正義を語るのに神など出てこない。全くパーソナルな領域の話である。だから、人として許せないことは悪であり、それは絶対に正義にはならない。多くの罪無き人が苦しんだ原爆投下が正義になることは、日本人にとって永遠に有り得ないのである。
 日本人は、とても人間的である。その正義は、常に人間のものだ。
 それに対し、アメリカ人は宗教的だ。そして彼らの正義は、一つの絶対的な神のものなのだ。
 オバマは広島に来るが、日米相互理解への道は、未だ遠いだろう。

 


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