ドゥテルテの虐殺?


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 フィリピンで、麻薬密売人など400人超が国家警察により射殺されたという。 
『フィリピンの警察当局は、この1か月間の摘発作戦で麻薬の密売人など、400人以上を射殺したと発表した。治安回復を重要政策と掲げるドゥテルテ大統領の強権発動には批判の声もあがっている。
 フィリピンのドゥテルテ大統領は、公約として「治安回復」を掲げているが、麻薬撲滅に向け就任早々、強権を発動している。
 国家警察は2日、大統領就任直後の先月1日からこれまでに違法薬物の摘発で、密売人などの容疑者402人を射殺したと発表した。逮捕者は4400人を超えたという。また、摘発を恐れた薬物中毒者など約57万人が当局に出頭したとしている。
 一方、取り締まりが行き過ぎているとして350を超える人権団体などが、国連機関に対しやめさせるよう要請している。(2016年8月4日 日テレNEWS24)』(http://www.news24.jp/articles/2016/08/04/10337163.html
 まあ酷いと言えば、酷い。


 しかしフィリピンは、元々治安状況が悪い。場所によっては共産ゲリラがウロウロしているような地域もあるのだ(フィリピンの共産ゲリラ、新人民軍)。そういう場所で行われる出来事を、先進文明国のモラルで評価するのは、正しいと言えないだろう。
 現に、400人を射殺したことにより、57万人もの犯罪者が出頭して来たと言うのだ。つまり実際に、それだけの麻薬犯罪が蔓延っていたということだ。
 でも、裁判も無しに(?)射殺したのであれば、人権団体が騒ぐのは尤もだろう。けれどもフィリピン警察が、現行法の解釈の中で、犯人が抵抗したとか、武器を向けたとか、逃走したとか、そうした状況の中でやむを得ず射殺したものだと推測するが。
 フィリピンに限らず、半未開地域、混乱した状況、法の支配が十分に及んでいない場所、そうした状況で急いで秩序回復を行おうとしたら、多少荒っぽい手段になるのは、やむを得ない。
 例えば、支那事変で日本が南京市を攻略したとき、市内に潜むゲリラやスパイ多数を狩り出して軍法に基づき処刑した。


 それは当時の状況下で、秩序回復の手段として何ら瑕疵の無い行為だった(南京陥落後の支那軍便衣兵の処刑は合法)。しかし今日、その話にとてつもない尾ひれがついて「南京大虐殺」などと言う荒唐無稽な話に変造され、流布されている事実がある(有田芳生「『南京の人口は20万人だから南京大虐殺30万人はデマ』は無知。人口は160万人だ」)。
 フィリピンのドゥテルテ大統領も、今はフィリピンの英雄だけれど、もし何らかの理由で失脚させられたりすると、後の歴史の中で独裁者扱いされ、麻薬犯400人射殺したことが「ドゥテルテの虐殺」とか言って非難されるようになるかも知れない。
 後付けで語られる歴史が必ずしも正しいとは限らない。過去を、現実には達成不可能な理想的な価値観で断罪するような場合があるからだ。
 人権団体は非難するのだろうが、ドゥテルテを単純な視点で悪い奴と決めつけるのは、恐らく正しくないだろう。

 


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