(祝)飛燕二型が修復された!


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 大日本帝国陸軍により使用された戦闘機「飛燕」が、川崎重工により修復され10月中旬に神戸で展示される予定。
『太平洋戦争中に川崎航空機工業(現川崎重工業)が製造した陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」を、同社の有志が修復している。当時エンジンを造っていた明石工場では、二輪車の開発担当者らが主要部品の過給機を復元した。「先人がものづくりに込めた思いや工夫の跡を感じ取りたい」と地道な作業を続ける。10月15日から神戸市内で展示する。(高見雄樹)
 飛燕はエンジン製造を明石、機体の組み立てを岐阜の工場が担った。ドイツのダイムラー社からライセンスを受けた一型は約3千機を生産。上空1万メートルを超える高高度での運航性能が良く、米爆撃機の迎撃や特攻にも使われた。川崎が独自設計した二型は約60機が配備されただけで、両方の型を合わせ、日本航空協会(東京)が所有する二型の試作機が唯一現存していた。
 機体は計器類が失われ、エンジンに圧縮空気を送って出力を上げる過給機もなくなっていた。明石工場では1年前から有志10人が勤務時間外に過給機の復元を開始。設計図は戦後に焼却され、唯一残る写真や類似機種の図面を基に3Dプリンターで試作を重ねた。
 メンバーの市聡顕(いちさとあき)さん(43)は、川重が昨年売り出した大型二輪車「ニンジャH2」の開発チームを率いた。設計の前に飛燕のエンジンを見て「無駄のない究極の機能美を参考にした」と話す。
 通常は円形のエンジン排気口が楕円(だえん)形になっており、作りやすさよりも性能にこだわっている証拠だという。メンバーの恵上浩一さん(52)は「材料が乏しく、加工機械などの制約も多い中、ものづくりに向き合って最高の製品を造ろうとした先人の思いがよく分かった」と話す。
 機体は全長9メートル、全幅12メートル。岐阜工場で組み立てなど全体修理を行い、同社の設立120年を記念して10月15日から11月3日まで、神戸港新港第4突堤の神戸ポートターミナルホールで展示する(10月18、19日は休館)。無料。午前10時〜午後5時(入場は午後4時半)。川崎重工業神戸広報課TEL080・4063・2090(2016/9/21 神戸新聞NEXT)』(http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201609/0009508990.shtml
 貴重な日本の技術遺産である。


 この飛燕二型は、修復が始まるまで知覧特攻平和会館に展示されていたものだ。この度、欠けていた部品などを補い、オリジナルに近い形まで復元したという。神戸ポートターミナルホールでの展示の後は、岐阜県かかみがはら航空宇宙科学博物館に移されて展示される予定らしい(航空と文化)。
 こうした戦時中の歴史遺物の保存活動は、海外では盛んであり、殆ど美術品を扱うのと同程度の価値と熱意が注がれているのが普通である。ところが、我が国では戦後の左翼的風潮の中で、長い間、殆ど価値が認められずに来た背景がある。
 その最も酷い例は、平成10年に解体された海防艦「志賀」のケースだろう(海防艦「志賀」)。大東亜戦争に参加したことのある日本の艦艇のうち、ただ一隻現存していた貴重なものだったのに、戦闘艦であるという理由により、保存価値なしと判断されクズ鉄にされてしまったのだ。
 正に歴史に対する犯罪である。
 戦闘機や軍艦、戦車など兵器や軍に関わるものには、保存価値がないと考えられて来た国は、世界広しといえども日本国くらいのものだろう。この修復された飛燕のケースのように、少しずつ考えが変わって来ているとはいえ、一般的な認識は未だ浅いのが現状である。
 最近、イギリスではトラファルガー広場に戦車を展示するというイベントがあったそうだ(百年前の戦車「マークIV」、ロンドンに出現)。もし日本で、上野公園あたりに戦車や戦闘機を展示したら、どんなことになるだろうか?、きっと共産党あたりが反対運動を起こして、直ちに取り止めになるだろう(戦車が来なくなった大洗 共産党が「ガルパン」名指しで戦車展示の中止を要請していた)。
 馬鹿げた妄想性のイデオロギーに惑わされず、日本も軍事施設や兵器の歴史価値を正当に評価できる国に、早くなって欲しいと願うばかりである。 






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