これは国民党の流れ
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ナチス軍服が問題とされた台湾の高校のコスプレイベント。ナチス軍服だけじゃなく「打倒日本鬼子」も叫んでいたとして、中国メディアが報じている。
『2016年12月27日、台湾新竹市の光復高校で行われた開校記念祭のコスプレイベントで、一部生徒がナチス・ドイツの軍服を模した衣装を着用し、駐台北イスラエル経済文化弁事所(大使館に相当)が非難するなど物議を醸した問題で、別のクラスが霧社事件(日本統治時代の台湾で起きた抗日暴動事件)を演じ、「打倒日本鬼子」などと叫んでいたことが分かった。環球網が伝えた。
台湾の掲示板サイトに投稿された動画によると、黒い衣装にサンタ帽をかぶり「霧社事件」と書かれたプラカードとおもちゃの銃を持った日本人役の生徒らの集団に向かって、赤い衣装で頭に白い布を巻き紙でできた刀を持った台湾先住民役の生徒らの集団が駆け寄り、「打倒日本鬼子」などと叫んだ後、二つの集団は音楽に合わせて踊り始めたという。(2016年12月29日 レコードチャイナ)』(http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20161227/Recordchina_20161227034.html)
台湾に、こういう光景があったとして別に不思議じゃない。
これは恐らく、国民党の流れを汲む高校なんだろうな。だとしたら、全く不思議じゃないのである。
記事の取り上げられ方からすると、レコードチャイナの記者は、ナチス軍服から日独伊三国同盟を連想し、それなら親日なのかと思っていたところ、反日的な内容のコスプレもあったから面白いと思って記事にしたのだろう。しかし、ナチス軍服=親日のような連想が働く人は、戦後のプロパガンダに騙されている。
実際には、日独伊三国軍事同盟が締結される以前は、ドイツは防共協定を結んでいた日本より、蒋介石の国民政府の方と強い同盟関係にあったのだ(中独合作)。そして国民党の精鋭部隊の兵士達は、ドイツ式の訓練を受けドイツ軍の装備で日本軍と戦ったのである。蒋介石の軍事顧問だったドイツ軍人ファルケンハウゼンは、日本への攻撃を熱心に進言さえした(ファルケンハウゼン・ペーパー)。支那事変の切っ掛けとなった第二次上海事変に於いては、ドイツ軍事顧問団が支那兵を指揮して日本を攻撃したのである(第二次上海事変は日独戦争だった)。
台湾に於いて、日本の敗戦後に大陸から渡って来た支那人は、「外省人」と呼ばれ区別されることがあるが(台湾でたまに耳にする、本省人・外省人って何?)、多くの外省人は、日本に敵対した国民党を祖先に持つ人達だ。外省人は大陸との結びつきがつよく、そして反日的だ。
従って台湾の外省人系集団では、ナチス軍服も反日スローガンも全く矛盾しない。むしろ、とても相性の良い歴史的な組み合わせなのだとすら、考えられる。
台湾には、戦前長い日本統治の歴史があるので、戦時中に盛り上がった日本の親独ムードは台湾にも伝播していただろう。だから、元から台湾に住んでいた本省人の人達にも、抵抗感なくドイツの軍服を受け入れる素地はある。そして戦前だけでなく戦後、台湾を統治した国民政府とも、ドイツは仲が良かった。再開した国共内戦を戦う蒋介石の下へ、戦争が終わり仕事を失った旧ドイツ軍人が再び集まって来たという話もあるようだ。
歴史的には、国民政府は戦勝国として認められ、そして国民党が占拠した台湾は、日独伊三国軍事同盟を結んでいた日本の旧領土であり、住民の大半は台湾出身の旧日本人であった。想像すれば、連合国やイスラエルの追求を逃れた一部のナチスが、正体を隠して潜むのに都合の良い場所だったかも知れない。もしかすると、そんなことが、このコスプレ騒ぎに影響しているのかもね。
歴史の裏側には、様々な出来事が隠されているのだ。
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