教育勅語を悪くする印象操作


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 昨日、14日の報道ステーション教育勅語の説明があった。その一部書き起こしから。
『今回の報道でもたびたび出てくるこの教育勅語。今一度、どんな内容のものかここでまとめてみます。こちらが教育勅語の全文です。明治23年、1890年に明治天皇の言葉として示されたものなんです。国、国民に対して何を求めているのか。具体的に書かれているのが赤線が引かれている部分です。こちらの現代語訳を見てみます。親に孝行し、兄弟は仲よく夫婦は仲むつまじく友達とは信じ合い自分の行動を慎み人々に博愛の手を差し伸べ学問を修めて仕事を習い知識を養い人格を磨き公共の利益のために貢献し憲法や法律を尊重しと。ここまでは小川さん、どうですか。
≫ここまではいいことといいますか現代にも通じるような人にとって大切なことですね。
≫常識的な感じですね。ただ、問題なのはここからなんですね。緊急事態が起きたら勇気を奮って身を捧げ永遠に続く皇室国家のために尽くしなさいと。つまりですねいざというときには天皇を中心とする国のために命を捧げなさいというようなことが書かれているんですね。(報道ステーション 2017.03.14)』(http://o.x0.com/m/454047
 また強引な解説するなあ。


「国のために命を捧げなさい」とか、どうしてそう極端に断定するかね?
 悪意的な意図を感じるな。印象操作だろこれ。
 明治天皇は、そんな事を一言も述べておられません。
 報ステの言う「国のために命を捧げなさい」とされた部分。教育勅語原文の書き下し文を見ると、「義勇公ニ奉ジ」となっている(教育勅語と現代語訳)。ここから一義的に「国のために命を捧げなさい」とは、とても読み取れないだろ。特に「義勇公ニ奉ジ」の文で、「義勇」とされている所が重要だ。
 これは平易に言えば「正しい勇気」という意味になる。例えば「蛮勇」という言葉があるが、それなら命の危険を顧みない冒険的な勇気ということにもなるだろうが、そうではないということだ。それから義勇兵という言葉があるように、「義勇」は志願や自発的意志から発する勇気という意味でもある。
 勿論、進んで勇気を出した結果、不運にも命を落とすケースまで否定されないが、無謀にも命を捨てるような勇気は、端的に言えば「義勇」では無いのだ。
 そして、説明するまでも無く「公」の部分は、世の中の為、社会の為、要するに「おおやけ」だよ。会社や組織の場合もある。それは必ずしも国に限定されない。続く「奉ジ」の部分は、「奉ずる」ということで、つとめるとか、仕えるとか、奉職する、奉仕するの意味になる。だから「公ニ奉ジ」というのは、「国のために捧げる」という意味もあるけど、より普通に解釈するなら「おおやけに尽くせ」ということ。


 つまり「義勇公ニ奉ジ」というのは「進んで勇気を出して世の中のために尽くしなさい」ということだ。
 従って、国民に向かって「国のために命を捧げなさい」なんて、明治天皇は述べておられない。各人が自分の持ち場で尽くせと、もっと広い意味の事を言っておられるのだ。
 尤も、広い意味だから、極限的な状況になれば当然軍人が国の為に命を捧げるようなケースも含まれるのだろうが、それは国家が存在する以上、必要な事であって、そこまで否定するのかね?
 戦争が起きたら国の為に戦うか・・・、と問いかけた最近のアンケートがあって、それによると日本では「戦う」と答えた人の割合が海外との比較でダントツの最低・最下位になっている(もし戦争が起きたら国のために戦うか)。こういう状態なんだけど。
 それから、教育勅語は1948年に国会で廃止された云々とマスコミは誇らしげに言うんだけど、それってGHQに統治されてたド真中だよね。当時の日本に決定権なんか無いんだからさ(教育によって日本の「無力化」を図った、GHQの日本人再教育とは?)。誇らしく言うべき事じゃないよ。占領中に占領軍から無理矢理廃止されたんだから、日本人が、その復活を考えるのは当然のことだ。
 教育勅語の説明するなら真面目にやって欲しい。報ステは、ねじ曲げた解説するな!



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