「忖度」が理解できないのは子供か外人だ!


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「忖度」がどうのとか、随分前から騒いでいる。
 この騒ぎには極めて強い違和感を感じる。「忖度」するのは当たり前の事だし、「忖度」出来ない人間が社会で成功しないのも当然の事だ。
 それから、「忖度」されることも悪いのか?
 悪い筈は無かろう。「忖度」は強制するものでは無いし、強制しようと思っても無理だ。強制すればそれは命令であり支配であって、「忖度」の余地は何処にもなくなる。
 では、「忖度」してくれた者に報いるのは悪なのか? そんな事も無い。「忖度」してくれた者に「忖度」して、「忖度」に報いるのもまた、人として当然の機微である。
 では何故、「忖度」が問題になるのか?
 それは「忖度」のテクニックに乏しい者が「忖度」しようとして失敗したということ。つまりそれは、「忖度」ではない。「忖度」される方にとっては、単なる迷惑以外の何物でもない。
 だから、失敗した「忖度」を論って「忖度」した、しない、とか言ってるのは噴飯ものだ。そういうのは「忖度」では無いからだ。
「忖度」は日本社会では極めて当たり前のものである。
 それを使いこなせない子供や外人が火病して騒いでいる。
「忖度」は日本人の知恵である。
「忖度」を何か責任逃れのための権力者の悪知恵のように曲解させたいメディアがあるようだが、「忖度」はそういうものではない。
「忖度」は、ある部分では支配させないための被支配者側のテクニックでもあるからだ。
 つまり命令が無くても「忖度」だと言っておけば、色々自由に出来る事がある。それを無くしてしまえば、いちいちお伺いを立て、全てを聞かねばならなくなる。「忖度」を完全に消してしまえば、後は直接支配しかなくなる。解釈の自由度がゼロになるからだ。
 そう考えれば、「忖度」には完全支配を拒む意味もあるのである。
 そもそも、ご皇室が維持されているのだって、強度の「忖度」がそこに働いているからだ。
 天皇陛下は象徴であって支配者ではない。命令も統治もしない。それなのに長い歴史の中で続いて来たのは、天皇の権威に対し日本人の「忖度」があったが故である。即ちそれは完全なる「忖度」によって成り立つ体系なのだ。
「忖度」で騒いでいる人達が居るが、彼らは多分、思春期を越えられない子供か、或いは本物の日本人では無い、その何れかだろう。
 まともな日本人の大人は、ちゃんと「忖度」して出世して行くからだ。



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