ガードン教授も凄かった



 山中先生と一緒にノーベル医学生理学賞の受賞が決まったガードン名誉教授、実は学生時代、生物学の成績は250人中、最下位だったという。

『科学者を目指すのはばかげた考え−。英メディアは9日、山中伸弥京都大教授(50)と共に2012年ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった英ケンブリッジ大のジョン・ガードン名誉教授(79)が、15歳当時通っていた英名門のイートン校の通知表で酷評されていたと伝えた。
「破滅的な学期だった」のひと言で始まる1949年夏学期の通知表で担当教師は、ガードン氏の学業について「満足するには程遠く、リポートの中には50点中2点というものもあった」と指摘。「(教師の)言うことを聞かず、自分のやり方に固執する」とした。
 将来の道も「科学者を目指すと承知しているが、ばかげた考えだ。本人にとっても教える側にとっても完全な時間の無駄」と書き、通知表を締めくくった。
 この年のガードン氏の生物学の成績は250人中、最下位。(2012.10.9 msn産経ニュース)』(http://sankei.jp.msn.com/world/news/121009/erp12100920550004-n1.htm

 何と!、生物学に多大な功績を残した人物が、生物学で最下位とは・・・。もし、この成績が原因で、ケンブリッジで研究できなかったとしたら、ガードン教授のノーベル賞は無かった訳だ。
 偉大な研究者には、意外にも、学習障害かと思われるような大きな欠点を持った人が多い。例えば08年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授は、英語が完璧に駄目で、自分で英語を書いた事も、外国に行った事も無かったらしい。国際会議も全て断ったという。ノーベル賞の受賞式も、英語スピーチが慣例のところ、日本語スピーチで押し通したくらいだ。研究者には英語が必須、英語は小学生から、留学も・・・などと言われている今の日本では、益川タイプの人がノーベル賞を取るチャンスは、もう無いだろう。
 量子力学の父とも言われ、ノーベル賞を取ったニールス・ボーアは、益川教授より更に酷く、文章そのものを上手に書くことが出来なかったという。彼の論文は、母親や妻が口述筆記したものだった(http://blog.livedoor.jp/kasoken/archives/04406.html)。もし、小論文が重視される今の大学入試みたいなのがあったら、ボーアはノーベル賞を取れなかった訳だ。
 なので私は、今の日本の大学制度が、ノーベル賞級の才能を発掘できずに、多分、ボカボカ振り落としているものと勝手に推測している。けれども、大学制度の点では、日本の将来をあまり悲観していない。実は、私は、その駄目さが日本発展の重要なメカニズムの一つだと薄々思っているのだ。
 今、日本のアニメやゲーム、マンガなどが世界で高い評価を受けている。それは何故なのか?
 実は、多くの才能が、大学や大企業のような既得権の高い壁で守られた世界に入れて貰えず、あぶれてアニメやゲーム、マンガなどの世界へ流れたからこそ、才能のふきだまりと化したそれらの分野が異常発展したように思うのだ。
 私の分析によれば、日本では、才能ある異端者を権威が振り落とし、振り落とされた才能が自発的に、高濃度に、権威の外側の特定ポイントに集中し、全く新しいムーブメントを発展させる・・・そのような隠された仕組みがあるようなのだ。そうやって作りだされた新しいムーブメントが発展した後は、その分野も権威から認められて、新しい権威として引上げられる事になるのだが・・・。
 今は、アニメやゲーム、マンガがなどの分野が、国や大学、大企業などの権威に認められ、既得権化し始めている。すると、皆がその分野を目指し、○○大学アニメ学科、ゲーム学科、マンガ学科などを優秀な成績で卒業しないと、もう、その分野には入れない。けれども、そうなると、何故かその分野の新たな発展は、頭打ちになってしまうのだ。
 多分、真の才能を持つ偏った天才(見方によると異常者みたいな人)が、もう、その世界に入れなくなるからだ。でも、それで良いのだ!、既得権でガチガチになった権威主義の世界では、真の才能は育たない。そして、既存の枠組みからあぶれた、真の才能(異能者)達が高濃度で集まる新しい分野が自発形成されてくる。
 そうした新陳代謝が、日本の永久発展の本当の仕掛けだ!、大学や大企業・国などは、産業創出に殆ど関係しない(次に、何が発展するか・・・それは予測できない・・・だが、次期発展分野には、誰もお金を出したりしないのに、もう既に自然と、もの凄い才能がふきだまり始めているはずだ・・・もしかして愛国保守の分野か!?)。
 かつての日本の自動車やエレクトロニクスなども、一切、計画されたムーブメントでは無かった・・・それを日本で最初に始めた者は、本田宗一郎井深大などの、はみ出した才能たち。はみ出した才能が、社会の常識に反発し、独自の信念で作り上げた。それ故、凄い事ができた。でもその試みが成功し、その分野が既得権化・常識化すると、次はバランスの取れた器用な人がその分野を目指して努力しだす。そうすると、その分野には、真の才能を持つ不器用な人は、もう入り込む事ができない。
 けれどもそれが、結果的には良い。
 真の才能を持つ不器用な人は、完成した時計の様に精緻な器の中では、才能を発展できない。周囲と調和できず、うまく呼吸さえ出来ないのだ。
 アルバート・アインシュタインは大学に職を得る事が出来ず、ベルンの特許庁に就職し、趣味で相対性理論を完成させた。トーマス・エジソンは小学校を中退して、学校へも行っていない。彼らは、どうしようもなく、自分がやるしかない「それ」をやった。自分にはその才能しかない。他の生き方を選ぶことは恐らく不可能だった。全くの運命として、彼達は、自分の人生を全うしたのだ。



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